まず、自分のアトピー部分を見た医師は「これは治るよ」と
即断して言ってくれました。
治らない病気ではないかと不安を大きく感じていた自分は
この医師の言葉に希望を感じました。
病院に行った
長い間更新が止まっていてすみませんでした。
2006年4月16日ぐらいから、塾での浪人生の授業が始まりました。
出だしは普通に勉強できていました。(しかしアトピーが悪化するにつれだんだん集中できなくなっていくのです。)
4月23日は母が見つけてくれた、ステロイドを使わない病院に行きました。
左右の脇の下にできた患部にはバンドエードを貼って行きました。
先生に診てもらうとき、どこの大学を狙っているの?など話しながら、カシャッ カシャッ と何枚も写真を撮られました。
急になんだ?!と思いました。
今(浪人中)はとてもストレスがたまるからこれから大変だね。と言われましたが、
このときの自分は、この先アトピーにどれほど苦しめられるか想像できませんでした。
そして次の対処法を初めて教わりました。
・お風呂に入らないほうがいい、
・水分の摂りすぎが原因。
私はこの日以来、半身浴をするようになり、水分の量をかなり気にするようになりました。
<<アトピーの状態>>
この頃は患部の大きさも、しるの出方もほとんど変わることなく、一定の状態でした。
しかし、全くよくもひどくもならないのが、余計自分を不安にさせました。
いつになったらこの傷が消えるのだろうと思っていました。
今は
このようにとてもよくなり、かゆみに苦しむことなく過ごせています。しかし汗をかいたときの恐怖をたびたび思い出します。
この状態になるまでのことをさらに書いていきます。
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塾の中
2006年4月の初めの週
もう春期講習は終わりましたが、授業はまだ本格的に始まっていませんでした。
簡単なテストのようなものを受けに行ったのを覚えています。
このテストの結果で、私が「ハイレベル私大理系」か「普通の(名前を忘れました。)理系」のどちらに入れるかが決まるようになっていた気がします。
私は「ハイレベル私大理系」を希望していました。
浪人をしているというのに、新しい環境の中にいるとわくわくしてきます。
60歳ぐらいのおばさんが2,3人で歩き回って塾の黒板や、床の掃除をしていたのを覚えています。
その様子を見ていると気持ちが穏やかになりました。それから1年間、その風景を授業が終わるたびに眺めることとなりました。
そして事務室からつながった電話が各教室に1つ設置されているのには驚きました。
その上、受話器からの話し声が教室中に響き渡るようになっていました。
細かいところまで気を遣っているように思えました。
テストの内容はとても基礎的なものでした。英単語の意味だったり、数学の公式を素直に使うような問題がほとんだったような記憶があります。
そのテストのおかげだったのか、現役の頃に受けた河合塾の模試から判断されたのかは不明ですが、ハイレベル私大理系に入ることができました。
授業が本格的に始まるのは4月16日ぐらいからです。
<<アトピーの状態>>
4月23日に病院に行くことが決まり、それまではバンドエードで覆っていました。明らかにかゆみを感じていました。
かいたら余計悪化するのでかきたくありません。しかし我慢しているのもつらい。
本当に我慢できないときは貼ってあるバンドエードの上からつねったり <*_*> していました。
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春期講習
2006年3月の最後の週
この頃は、もう卒業式も終わり、塾に春期講習を受けに行くか、家で勉強をするかのどちらかだったと思います。
春期講習を受ける人というのは、今から高校3年生になる人か、浪人生かどちらかです。
そのため春期講習の時間帯が夜の場合、部活後に直接制服を着たまま講習を受けに来る高校2年生がたくさんいるのです。
この状況を見るたびに
「 あ、 来年 もう 1度 やる のか . . . 」
と感じました。(*´Д`)
また、自分は1年遅れていると考えさせられると落ち着いていることができなかった。
(*´Д`)
3月の終わりにあった卒業式の2、3日後にクラスの友達から一緒に遊ぼうと誘われたのを覚えています。
もちろん断りました。悲しみをほとんど感じていませんでした。
このとき私は何か開き直った気持ちになっていて孤独を楽しんでいるかのようでした。
私の母が、ステロイドを使わずにアトピーを治す病院を見つけてくれて、2006年4月にその病院に行くことが決まりました。
<<アトピーの状態>>
皮膚が直接あたっているような気持ち悪さだけでなく、少しずつかゆみを感じるようになっていました。
この頃は、まだ集中の妨げになるほどひどいものではなかったです。
このかゆみがこれから先の自分に大きな苦痛を与えるなど考えてもいなかった。
患部にバンドエードを貼って過ごしていました。
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卒業式
卒業式の日、私は後悔と不安とで、涙1滴出ませんでした。
今思い出そうにも、歌を何か歌ったか、体育館のどのあたりに座っていたか、誰がどんな話をしたか・・・など全く思い出せない。
ただ式が終わり、体育館から出て行くとき、出口の手前に立っていた体育の先生が、卒業生1人1人に一言ずつ話していて、私には「音楽を頑張れ」のようなことを言われたことだけは覚えています。私の書いた卒業文集を読んでくれていたそうです。
その後、私の所属していた吹奏楽部内でのお祝いに少し顔を出してから塾に向かいました。
式でもらった小さな造花の花束を持って、制服を着たまま直接春期講習を受けに行きました。
50人ほど入れる教室で受けました。全部で30人ぐらいしかいませんでした。
友達のほとんどはその時間打ち上げに参加しているわけです。そんな中自分はこうやって冷静に勉強できている。
授業中私はそんな満足感に浸っていました。
でもほんの少し泣きたい気分・・・で・・し・ (T.T) ・・・た・・・ょ・・・〜〜。
高校最後の日をこうして締めくくることが虚しかった。
しかし私の開き直りはそんな気持ちをいつしか吹き飛ばしていました。
そして充実した気持ちで授業を終え、そのまま帰りました。
<<アトピーの状態>>
私の母が洗濯の後に、私の下着の脇の部分が黄色く染まっていることに気づき、私の脇の傷はアトピーだと言われました。
そして、その内病院に行くことになり、とりあえず現時点では患部にバンドエードを貼っておくことになりました。
卒業式の日もバンドエードを貼るという処置をとっていたような気がします。
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後悔
2006年3月の中旬
私はこの頃、家で勉強するか、塾の体験授業に行くかどっちかでした。
私はあることにとても悔やんでいました。
私は高校3年になってからと、高校2年のときとで、全く精神状態が違っていました。
2年の頃は、部活があまりに楽しく、そして私は打楽器を指導したり、曲を編曲したり、音源を楽譜におこしたりなど自分の力を十分に生かせました。
しかし、精神的に悲観的になったり、心配をする気持ちが無くなり、勉強をどんどんしなくなっていました。
3年になってから思い返すと、高校2年の頃の1年間ぼけたまま過ごした気がするのです。
心の視野の中に「勉強」がほとんど見えなくなっていたのです。
これを悪かったと悔やんでいたわけです。心
心 心 心 心
心 心 勉強 心 心 ← ほらね。
心 心 心 心
心
心 心
心 心
心心心
そしてこう書いている今現在の私まで後悔が蘇ってきました。
もうどんなに考え込んでもその当時には戻れない。
だから「今」からその理想の自分で過ごせば将来の自分に同じ後悔をさせずに済む。と考えるようにしている。
後悔して今現在をうつ状態で過ごすことは無駄なことだと考えている。
あと少しで卒業式だ〜
<<アトピーの状態>>
相変わらず私がほったらかしているので、しるは常に出ていますし、何も変わっていないです。
半分うつ状態になっていたため、そういうことをどうでもよいとさえ感じるようになっていました。
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